自分にとっての「この人」
共感する記事があったので
私なりに解釈して書いてみる
SNSの投稿に
「すごい人」ではなく「この人」を見つける
と、いう記事があった
とてもシンプルでわかりやすい
世の中には「すごい人」はたくさんいる
そして、知れば知るほど
自分自身が劣っていることを感じてしまう
私は何をしているのか?とついつい空を仰いでしまったり
感情が停止してしまうこともある
私は、Alopecia(脱毛症)の当事者として
自分のことや、日々のこと、仕事のことなど書いている
時々、「すごいね」と声をかけていただくこともあり
素直に嬉しいと感じる
でも、記事にもあったように急増した情報量の中、
びっくりするほど「すごい人」に出会う
私たちは、1日に約3,000件の広告に触れるそうです
その中で、心に残るのは約3件ふと、目にとまる情報がある
それは、その人の生き方や世界観が垣間見えてきた時
私は、自分の過去の経験で「諦めないでやることが大事」と思っても
他者に対して「諦めないでやることが大事」とは言わない
「私は、こんな過去があり、だからあの時諦めないでチャレンジしてよかった」と伝えている
私が伝える意見は正しいわけではない
人それぞれの価値観と経験がある
私は違う!という意見があれば、それを大切にする方がいい
私の話をきいて、
そうだ、そうなんだよねと思う人
え~こういう人苦手だよと思う人
特に関心を持たれない人もいる
みんなそれぞれだから、そこに執着はしない
ただ、誰かを苦手だと思うことは
ただただ、苦手のまま
いいな、好きだなと思うのは
好きは好きのまま
苦手だから、教室から、職場から、コミュニティーから排除するのは違う
世の中には「すごい人」はたくさんいる
すごすぎて、遠い存在に思えてしまう
だったら、
自分にとっての「この人」を見つけたい、見つけてほしい
自分にとっての「この人」に…